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2011年11月24日 (木)

石割健太との情事 (実話です

「なんだその目は」
健太は 私の眼を観てこういった
私はこう答えた

「いじめるほど好きって言葉知ってる?」

健太は茫然とした表情で こういった

「はあ?」

「小学生のころ 好きな女の子がいると いじめたくなるんだよね」
と私

「それがどーした」

「なんかさー 今君がそう見えて仕方ないんだよね」

「はあああ? 何言ってるんだ」

健太は怒ったように平手打ちをした

「ねえ俺のこと好きなんでしょ」

「そんなことない」

「なんか可愛いねぇ 本当は好きなくせに

嫌いっていっちゃう 天の邪鬼な子」

「もっといじめてよ そうすればどれほど俺のことが好きかわかるから」
「ななに気持ちの割ること言ってるMかもっといじめるぞ」

そういうと健太は 俺の手のひらに つねった」
「Mじゃないと思うけどな俺もかわいい子をいじめたいと思っているし」
「こ れだから おまえは 気持ち悪いのだ もっともっと嬲ってやるからな」

「慌てちゃってかわいい」

「気持ち悪い こっちに来るな」

「なんで おれのこと 好きなんでしょ」
「嫌いだ」

「あ ちょっと傷ついちゃったかも」

「ざまあみろ」

「ちょっと怒っちゃいました 強硬手段に出るかも」

「なにするんだ」
健太は 体を押さえつけられた
「チューしようと思ってさ」

「はあああ意味がわからない んnんん」私は ドストエフスキーの 小説の一文に 大変共感をもった

ここに書かれているのは 私自身が 何度も追体験した 感覚だ

それは 牢屋に閉じ込められ ロシアの寒い冬の中で

牢屋の格子を 何度も数えるという 文章

なにもせずとも 襲ってくる感覚は まさにそれだった

私がなぜそんな感触と 感覚をもっているのかは

石O健太という 小柄で 田舎の大将の様な

やつに 嬲られたからだ 彼はホモである

彼は 私のことを殴ることで 自分のなかにある 同性愛の

心を 満たしていたのだろう 私が 同性愛を嫌悪するのは

私が 同性愛の傾向があるのではなく 健太が 私のことを

愛して 何度も 嬲ったからである

気持ちが悪い 吐き気がする

私は 健太に 嬲られながら

気が動転した 笑い続けた

手塚治虫の漫画で 狂った時に あげる 笑いだ

あーははははは ひゃーーはははは ははははは

それでも 健太は 嬲ることを やめなかった

私は だんだん 自分自身が かい離し

脳の中の 映像が 灰色になっていった

やがて 死にたい もう生きるのがヤダ

と言わなければ 一度 あの 灰色で 牢屋の格子を数える作業が 極寒のロシアの地で

行われるのだ

わたしは ただひたすら

健太に嬲られるのが 続き

狂った笑い声が 教室中を 孤独に 占領した

笑い声が 絶えずに 続く

健太の 嬲るのもやめない

叩き 殴り 暴力の限りを尽くして 私のことを 

痛めつけるのだ

ひゃーははは ふあああああああふぁははははは

私は 気が狂うのだろうか

健太は 私を嬲るのに飽きてこういった

「なあ 篤い 抱擁をくれ」

わたしは ただ それに従い 健太に 篤い抱擁をした

「俺は お前を愛しているからこそ いたぶっているのだ」

そう自信満々に答える健太は 田舎くさくて

虫採りでもしているような 純朴な田舎の少年だ

彼は 絵がうまく それは 私も認めるところだ

「俺は お前が好きなんだ さあ 犬の恰好をしろ」

そういうと 彼は 私を突き上げた

「ははは 言いざまだぜ」

わたしは 興奮した

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